昭和40年6月20日 夜の御理解



 信心が好きになると言う事、信心が好きになると言うのは、ただ、有難や有難やと言う意味での信心ではなくて、人間、万物の霊長としての信心。その霊長としての信心であり、信仰であり、それがどこまでも道理に合った信心、そこん所をお道の信心によってです。いよいよ、その広さ深さを分からして貰い、それでいよいよ信心が好きになると言う、おかげでなからなければ。
 まあ、一般にただ信心が好きと、もう兎に角拝む事だけが好きと、言うような信心がありますけども、そう言う意味で菊栄会の、今晩、菊栄会ですけれども、菊栄会の皆さんは、ね。現在の年配といい、また教養といい、信心の上に置いてもです。ハッキリそこん所をお道の信心、特に椛目にご縁頂いておると言う事のです。有難さが信心がいよいよ好きになって行く方達の、まあ集いだと私は思うのです。
 ですからそこん所がもっともっと、ただ縁があったからこうして金光様の御信心を頂いている、縁があったから椛目にその繋がっておる、と言うだけでなくてです。愈々お道の信心の有り難さ、愈々椛目におかげを頂いた事の訳とでも申しましょうか、ご神意とでも言おうか、そう言うようなものが、ハッキリ致してまいりますと言う事。今日、秋永先生が朝の御祈念から、丁度、次々と御用がございましたから。
 何時頃まででしょうかね、二時か、三時ごろまでおられましたでしょう。それで丁度伊万里から竹内先生たちが、自動車二台に便乗して見えられて、先生との話し合いもあったんですね。それであの、その時、話してありましたけど、先日その、春吉の教会に、丁度あそこ、横通ったら、あそこのせんせいが、こうやって覗きござりよる。はぁちょっと、寄らん訳いかんから、寄らして頂いたと、こういうんですね。
 それで、まあ、いろんな意味で、その、椛目にご縁を頂いておってよかった、という事を実感したということと同時にですね。その、あちら、岡部先生と申しますもん。大学出の、もう、何十年経歴のある教会なんですね。それが、今度、椛目の御造営の事を知っておられたんですね。「大したその、今度御造営が出来るそうですな」と、「幾らぐらいかかるとですか」ち。
 「四千何百万でしょうか」ち。まあこれはいよいよたまがって、「はぁ千何百万ち聞いておっただけでも驚いたところへ、四千何百万円、大体信者はどれだけござるとですか」と言うような話だったそうですね。「信者は、わずか、三百人あまりですけれども、椛目の場合は、みんなあの、家族が勢を揃えて信心しよるとですよ」ち言うもん。ですから「一人が、神様と言い出したら、皆が、それに付いてくるから、それが出来るとですよ」と言うてその、言うた事です。
 そしたら「椛目の生き方とは何かスローガンがあるでしょう。どう言う様なことをスローガンにその、椛目は信心を進めていきよりなさるですか」て言うて聞かれたち。そうですね「椛目はとにかくあの、もうとにかく一から十まで、あそこは御理解力ですから。先生の朝晩の御理解を頂いて皆んなが、助かって言ってるんですけれどもね。そうですね。椛目の信心を一口に言うたら、もう限りなく美しゅうなりましょうやと言う合言葉ですよ」ち言うたそうです。
 そしたら分からんごたる顔しとりなさるんで、兎に角その限りなく美しゅうならせて頂こうと言う事の中にはですね。まず改まらなければ本気で磨かなければ、美しゅうならんと言う内容があると。そしたらハーと言うて笑われたそうです。ね。信心のもういよいよギリギリのところ。ね。限りなく美しゅうなりましょうや、そして次にもう兎に角ですね、限りなく美しゅうならせて頂いたらです。
 どういう問題でも、解決するのですよと。どういう例えば問題がありましてもです。お互いが汚い心を持っているから、問題が問題として何時までも残るのですよと。問題は限りなくあります。けどもそれがです。自分自身の汚さがこの問題を生んでおるんだと言う時にです。限りなく椛目のものは美しくなることに焦点を置いて、信心を進めておると。愈々そのはぁち言うてから、その感心をされたと言う事ですけれどもね。
 ですから成程限りなく美しゅうならせて頂くという事、ね。それもまあどういう角度から眺めさせて頂いてもです。万物の霊長としての、ただ馬鹿ほどに素直とか、ただ有難いとかと言うだけではなくてです。その道に基づいた素直さ、道に基づいて限りなく美しゅうなろうという、そこに椛目の信心の素晴らしさがあるという意味の事を、一口話したら、岡部先生もたまがってしもうておられましたと言うておられました。ね。
 ただそういう意味の事が身に付いていく、血になっていく。それが愈々言うなら、椛目の信心ですたいね。いわゆる教祖の神様のご信心と言うものの素晴らしさというのは、ここにあるのだという事を、お互いが体験させて頂いたらですね。本当に秋永先生が言う様にね、一切が解決のおかげに成って来るだろうとこう思うですね。お互い成程好きこそものの上手なれと申しますからね。好きにならなければ出来ません。ね。
 そういう意味合いで、今日なんかは、今日は、少年少女部会の二回目の少年少女部会でした。この前はそのために、様々な青年部の方たちがあの工夫して、ま面白う可笑しゅう遊ばせるといったような程度の、発会の日でしたか、そうでしたけれども、今日はもう、初めから神様が、信心を分からせるといったような感じですからね。今日皆さん参って見えてからですもん。
 今日、もう子供達がおかげ頂いて有り難うございましたち、帰ってから早速お父さんやらお母さんに、「お母さん雨が降るから、風が吹くから、えらい大儀と思うてはならんよ」ち言うてから、子供から教えられたと言うて言うわけなんですね。こういうような信心は、子供のお気からです。いよいよそういう素晴らしい信心が身に付いて行って愈々、信心の雰囲気が有り難うなり、好きになって来たらです。
 いよいよ、親も安心だと私は思うのですが。そういうような私は、おかげを、身に付けていかねばならないと。ただ、好きというだけではなくて、そういう一つの、筋金の通ったですね、信心を身に付けていく。その上、信心が好きになる。その上拝むことも、いよいよ好きになるという信心だったら、いよいよ有難い。同時に思うのですがね。いよいよ信心を高度なものにして行くために。
 いよいよ自分を掘り下げることです。掘り下げさせて頂けば、頂くほど、詫びなければおられません。ね。そういう信心が身に付いて参りましたら、愈々信心の、本当の新味と申しましょうか、深い所から沸いてくる喜びなんですよ。それに触れさせて頂けれる。いよいよ信心が、高度な意味合いにおいて好きになる。そういうおかげを頂きたいと思う。   どうぞ。